破天荒な人生にまつわる逸話を残す

日本が世界に誇ることのできる偉大な科学者の一人に、細菌学者の野口英世がいる。

野口英世が死没したのは、1928年5月21日のことだ。

日本から遠く離れたガーナのアクラで、51年の生涯を終わらせた。

亡くなるまでに数々の論文を発表しており、その研究成果は世界的に高く評価されていた。

ノーベル賞候補にも三度名前があがっていたので、もう少し長生きすることができていれば、ほぼ確実にノーベル賞を受賞できたはずだ。

しかし、黄熱病に罹患して、研究者として最も脂がのっていた時期に、その人生を終わらせてしまった。

野口英世がこの世に生を受けたのは、1876年のことだ。

明治維新が起こってからまだ10年も経過していない時に、現在は猪苗代町と呼ばれている場所で農家の長男として誕生した。

英世が1歳の時に囲炉裏に落ちて左手に大火傷を負ってしまい、指が癒着してしまった話はよく知られている。

左手に重い障害を負いながら、偉大な業績を残すことができた立身伝中の人として、小学校の道徳の教科書などで頻繁に取り上げられていたので、多くの日本人が知っている。

実際のところ、英世自身だけでなく彼の家族も、この左手の障害を非常に深刻なものとして考えていた。

本来であれば、家業である農業を承継するはずの長男だったわけだが、左手が不自由では農作業が難しい。

それが理由で、農業ではなく、学問で身を立てることを考えるようになったと言われている。

15歳の時に書いた作文がきっかけになり、多額の募金が寄せられて、癒着した左手の指を切り離す手術を受けることができた。

この手術で指が完全に動くようになったわけではなかったが、物心ついた時から不自由だった左手を治してもらえたことに感激し、医師を目指すようになった。

その後、21歳の時に再手術を受け、指の動きがかなり改善されるに至った。

野口英世の名が世界的に知れ渡るようになったのは、ロックフェラー研究所勤務中に成功した梅毒スピロヘータの純粋培養によってである。

当時黄熱病が蔓延していた南米エクアドルへ趣き、現地で開発した野口ワクチンを使って南米の黄熱病流行を収束に導いた。

イギリスの学者から野口ワクチンは、アフリカの黄熱病には効かないという指摘を受け、その検証を行う目的でアフリカのガーナへ行き、結局そこで黄熱病に罹患して死亡することになった。

また、偉大な業績を残した一方で、知人から借りた借金を踏み倒したり放蕩三昧の生活を送るなど、その破天荒な人生にまつわる逸話を数多く残している。

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