聖徳太子から数えると4代目の肖像

現在、日本銀行が発行している千円紙幣には、野口英世の肖像が使われている。

もともと日本国内で千円札が発行されるようになったのは、1945年のことだ。

その時発行された千円兌換券には、日本武尊の肖像が使用されていたが、新円切替に伴い流通開始から1年も経たないうちに失効させられてしまった。

日本銀行券の千円札が改めて発行されるようになったのは、1950年のことである。

なぜ4年もの空白が存在しているのかというと、1946年当時の千円兌換券の価値を、現在の価格に換算すると180万円ほどになるためだ。

そのような高額紙幣は、現実的な必要性が低かったので、新円切替に伴う発行が見送られた。

しかし、インフレが急速に進んだため、1950年に再発行されることになった。

聖徳太子の肖像が使用された。

野口英世は、聖徳太子から数えると4代目の肖像ということになり、2004年から使われている。

この野口英世という人物は、1歳の時に負った左手の大火傷というハンディをものともせずに、世界的な偉業を成し遂げた人物として、子供向けの偉人本などには必ず登場している。

日本人であれば、知らない人がいないほど知名度の高い医学者となっている。

当時の細菌学研究の最先端をいっていた、ロックフェラー研究所に在籍し、医学論文を数多く発表して国際的に高い評価を受けた。

非常に優秀な研究者であったわけだから、その人柄もさぞや高潔であったに違いないと想像する人が多いが、意外や意外、ことお金に関してとてもルーズだった。

友人や知人から手当たり次第にお金を借りまくっていたのは事実だ。

実際に、野口英世がお金の無心をした手紙が現在でもたくさん残されている。

ところが、返済に関する証拠はほとんど見当たらない。

借りたお金の大半を踏み倒していたらしい。

とても恩義のある人からも高額の借金をして踏み倒していたらしいのだが、それでも野口英世の才能を信じて貸す人が後を絶たなかった。

つまり、貸す方も、偉大な才能に投資するような気持ちを持っていたのだと言われている。

当の野口英世自身は、そこまで真剣には考えていなかったようで、お金が入ってくると、女遊びなどの遊興につぎ込んで、パッと散財してしまうことが多かった。

性格的に大雑把な部分もあったため、詐欺にあってお金を騙し取られてしまうこともしばしばあった。

それでも、こと研究に関しては人一倍熱心で、周りの研究者たちから、いったいいつ寝ているのだろうと噂されるほどだったという逸話が残されている。

PR

  • ---
  • 日本医学会